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最後の喝采

■Robert Goddardの「Play to the End(最後の喝采)」(加地美知子訳、講談社文庫、2006年1月15日第1刷発行)

先週は何かと忙しく、ブログも1週間放置してしまった。さて何をしていたのか考えると、移動時間はそれなりにあった。そこそこ読書は出来たし、歩きながら写真も撮っている(今年は花粉症が比較的軽いようだ)。昨日も夕暮れ時に眼鏡の調整に寄った。ついでに本も購入。レジで「ファイブエルをどうぞ」と言われたのにはドキッとした(関係者としては嬉しいが)。現在30万部出ているが、うち10万部は業務用。フリーペーパーと言いながらも、実際に街頭で見かけることは少ない。おっと、何を話そうとしてたんだっけ。う~む、そうだった。Robert Goddardの優柔不断な世界だった。どうも彼の作品になると、こちらもウダウダとしてしまう。「悠久の窓」(去年の3月発行)以来である。

nearco01前回は、「主人公たちの気の弱さ、奇妙な思考回路、全く理解できないねと思うが、ズルズルと引き摺り込まれていく」とか書いた。今回も主人公達は何を考えているんだかと言いたいところだが、そうでもない。今回は分かり易い(いつもよりは…)。これは単なる未練たらしいのだ。これが、ある意味イライラの原因(悪い意味じゃありません)なのだが、それなりにスッキリはする。「PAST CARING(千尋の闇 上)」(幸田敦子訳、創元推理文庫、1996年10月18日初版)などとは明らかに違うのである。

goddard01今回の未練たらしい男は、ジョー・オートン作「気にくわない下宿人」の舞台に出演しているトビー・フラッド。これが、離婚訴訟中の妻ジェニー・フラッドから「会えるかしら?」と電話があると、「そう持ちかけられて反対したためしがあったかな?」なんて答える。ストーカー対策を頼まれると、「きみのためならどんなことだろうと、ジェニー」なんて言っちまうわ、「ふたたび彼女の愛をとり戻す望みをすててはいないから」なんて考える。そのくせ、「じゃあ、これでね、トビー」と彼女が歩いていくのを見送ることになる。

あ~ァ、こうして、トビーはトラブルへとまっしぐら。ストーカー行為をしていたデリク・オズウィンには裏をかかれているのに、「自分の演技を向上させたいと思わせるのに成功したようだ」とか呑気に考える。その後のトビーはどうなるのか。舞台はすっぽかすわ、殺されそうになるわ。なんせRobert Goddardですから、仕上げはご覧じろと云うところかな。ところで、この舞台はブライトンなので、少々違うのだが、女主人ユーニスのホテル「シー・エア」を読んでいて、何故か島田荘司氏の「異邦人の夢」(PHP研究所、1989年11月24日第1版第1刷発行)の「わが友ホームズ」の章を思い出してしまった。「世界は不可思議に満ちている」ではない(笑)。「ああこれが英国か、と思った」と云うミセス・ホールの箇所なのだ。では、次の次くらいに、またまたイライラしそうな話でもご紹介しよう。

【追記】この文章は昼頃書いたものをアップしたものである。よくも花粉症は比較的軽いと書いた。我ながらなんて甘いのだ。午後から外は強風に煽られた花粉の世界となっている。先ほど自宅に帰り着き、「目が痒いよ~、鼻がむずむずするよ~」と叫んでいる。なお、上の写真は水曜日の午前中、会社の近くで地下鉄に乗る前に撮ったものである。⇒続きは「シャドウ・ゲーム」へ

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